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同時に北のヨセフシュタット要塞(ヨセフォフ)でも1万人以上が籠城し、既に半月前から1万6千人が籠城している、ザクセンとの国境に近いテレジエンシュタット要塞(テレジーン)とあわせ、これら三つの要塞が未だ降伏せずに普軍占領地の中にぽつんと残されることになりました

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 余談ですが、現在チェコ共和国の北西側、ラーベ(エルベ)川に近いテレジーンの町(人口3,000人)を衛星写真地図で見て下さい

フランス=ドイツ国境にも同様な遺構がありますが、なかなか興味深い光景(ケーニヒグレーツもほぼ同じ形でした)が見られます

 第二次大戦中、この要塞はユダヤ人ゲットーやナチス親衛隊の刑務所として使われ、悪名を高めてしまいました

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 この三要塞はどれも交通の要衝に置かれていて、鉄道も要塞の脇を通っていたので、急進する普軍にとっては要塞に邪魔をされて物資を鉄路で送ることが出来ず、次第に厄介な存在となっていきました

攻めるにしても近代的な要塞は時間と人手を掛けた攻城戦でなければ落とすことが出来ず、その時間も人員も足りない普軍でした

 ベネデックはその辺りを見越し、普軍が休戦に乗るエサとしてこの三要塞を俎上にしたのです

 しかし、普軍はこれに乗らず休戦を拒否し、次第に追撃の速度を高めて墺北軍を追うことになりました

 これに対し、墺北軍は何とか戦力と戦意を取り戻すため、休養と補充を願っていました

それには敵から妨害されない大軍が駐屯出来る場所が切に必要でした

 墺帝国外務卿のアレクサンダー・フォン・メンスドルフは、昨年(65年)の政変で後任の宰相が準備出来るまで一ヶ月だけ宰相を務めたほどの「皇帝の忠僕」で、普で言えば陸軍大臣のローン(彼も数ヶ月間「繋ぎ」で宰相を勤めました)に当たる政府の重要人物です

半面、墺軍中将を勤めた公爵の四男で年少より軍に奉職し、旅団長を経て地方総督(治安のため軍人がなる場合が多い)になり反乱の鎮圧に成功し、コネばかりでなく実績で中将まで昇進した人物でもあります

 その彼が、北軍の撤退先をブリュン(ブルノ)を経由してウィーン前面に築かれた首都防衛のドナウ川堡塁群と主張します

 対するベネデックと北軍本営の幕僚たちは、ケーニヒグレーツから南西にあるウィーンとは反対の南東側、モラヴィア最南部の要塞都市オルミュッツ(オロモウツ)へ向かうべき、と主張しました

 メンスドルフの主張はもっともで、ボロボロの北軍に人員補充や装備の補填を行うには帝国の中心地の方が都合がよく、また敵の狙いは間違いなくウィーン占領ということがはっきりしているので、首都防衛のため、ドナウ川に防衛線を築くのは理に叶っています

 しかし、ベネデックの考えは別にありました

それは、このボロボロの状態でウィーンまでの長い道程を行けば、途中で必ず追ってくる普軍に捕捉され、その時に墺軍が頼るべき自然の要害や人工の要塞・保塁などはブリュンを経てウィーンに至るまでドナウ川しかありません

そのため、北軍はウィーンの途上で必ず撃破されてしまい、そうなれば墺帝国に残された戦力は南軍以外、二線級の郷土兵や支配領域の後備兵だけとなり、下手をすれば反乱も考えられるだろう、オルミュッツは要害の地であり、そこに至るのはウィーンに向かうよりは簡単で、北軍はそこでなら安心して補充や休養を行える、ベネデックはそう主張しました